贈る言葉アーカイブ

ホテル西洋 銀座が閉館されると聞き、驚きとともに大変残念な気持ちで一杯です。
長年に渡り様々な集まりの場で使わせていただきましたが、どんな時も居心地良く寛げ、
美味しかった料理やいつも心を配ってくださったスタッフの皆様の顔が記憶に刻まれています。
ホテル西洋 銀座は間違いなくホテルの一時代を作ったと言っても過言ではないでしょう。
このホテルのマインドが次の世代に引き継がれることを心から祈っています。
26年間ありがとうございました。

読売ジャイアンツ終身名誉監督
長嶋 茂雄

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一歩踏み入れた瞬間に、優雅な女性に変身させてくれるホテルでした。
名前の通り、西洋の香りが漂う館内は、
常に私を落ちつかせてくれる不思議な魔力をもっていました。
こんな素適なホテルが無くなるなんて・・・
「残念」のひとことです。

写真家
織作 峰子

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日本でもっともサービスの良いホテルの一つであるホテル西洋 銀座が閉幕してしまうときいて、
とても悲しく残念に思います。
私は週に1回は利用させていただいておりましたので、これからどうしたらよいのか迷っております。
ホテル西洋 銀座のようなセンスの良いホテルが銀座の近くにあるとは思えないので・・・・。

新渡戸文化短大学長
中原 英臣

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今年の春、私達は結婚35周年を迎えた。
記念日が来るたびに、「レペトワ」の味を想い出す。
一杯のシャンパンと共に“北海道産生ウニと甲殻類のジュレ・春キャベツのハーモニー”の一皿はそれこそ口福の味だった・・・・。
ホテルと共にその味まで消えてしまうのは悲しいことだ。
これから先の記念日は、どこで、何を食べたらよいのやら・・・なんとも残念!!

俳優 中尾 彬
女優 池波志乃

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ホテル西洋 銀座の名前を聞くと、華やかで特別な場所。
そして、居住まいを正さないと入れない場所・・と言う感じがしていました。
2006年、銀座でミツバチを飼うプロジェクトを始めて2年目、 ミツバチの蜜源を広げるために銀座の屋上に“ビーガーデン”と称する 屋上菜園を広げる過程で、ホテル西洋 銀座の皆さんと出会いました。
そのご縁で、銀座産のハチミツを使った『銀座はちみつマカロン』が誕生したのです。
以来、様々な“ハレ”の場で、このお菓子が街の中を行き来し始めました。
しかし、もっと嬉しかったのは、シェフはじめ皆さんが、この活動に加わって 銀座の街に溶け込んだように思う・・と仰って下さった事でした。
『銀座はちみつマカロン』は、ホテル西洋 銀座の技で商品にして頂いただけでなく、 ホテル自体が、街を訪れる様々な方々に私たちの想いを形にして届けていただく つながりの場でもありました。
閉館はとても残念ですが、目に見えない大切な「想い」を共有した時間が、この街に続くブランド価値そのものだったように感じます。
皆さん、有難うございました。

NPO銀座ミツバチプロジェクト
代表世話人 田中 淳夫

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ホテル西洋 銀座 閉幕に際して
いつも冗談に家から一番近いホテルだから大好きなのよ、と言っていたホテル西洋 銀座が閉館するって、 私にとって本当に寂しい出来事です。「学校に行かなかった研一」の出版記念をしたのも、 娘の結婚式をしたのも西洋銀座でした。ただ、そういうイベントだけじゃない、 朝食だけを食べに出かけたことも度々でした。綺麗に磨かれたシルバーや優しい甘さのジャム、 きつね色に焼きあがったトースト等々、あの雰囲気で朝食の満足感が消えてしまうなんて。 併設の映画館で心地よい映画を見た後の「アトーレ」においての食事、小ぶりながら充実した ホテルらしいホテルでした。エスカレーターを上がると其処にはたわわに活けられた生の盛り花、 あの人、この人とラウンジでおしゃべりした日々は私の心に焼き付いていくでしょう。

コラムニスト
大前 伶子

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2006年 12月23日
あこがれのホテル西洋 銀座で、結婚式。
参列していただいたみな様からも、本当にたくさんのおほめの言葉をかけていただきました。
担当の末廣さんはじめ多くのスタッフのプロフェッショナルなお仕事ぶり、そして最高においしいお料理。
今でも思い出します。
本当に素敵な時間、瞬間をありがとうございました。

元ロードレース選手 山本 雅道
元バレーボール全日本代表 益子 直美

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2002年に銀座1丁目に女性のためのクリニックを開院して以来(もちろんその前もでしたが)大変お世話になりました。
特に思い出深いのは、家族とのひとコマ、ひとコマです。
妹は吉兆さんで結納をさせていただきましたし、父の古希のお祝いは、家族総出でチャペルで写真をとり、その後レペトワで食事会をさせていただきました。 中学生、小学生の孫たちと、父がふざけたりにらめっこをしたり。宿泊したお部屋にはとても立派でセンスのよいお花が飾ってあり、さすが西洋銀座さんと感心したのを覚えています。
しかし何より思い出すのは、父が亡くなる少し前のことです。進行がんの宣告を受けた父は、開業医仲間にすすめられてがん研を受診することになりました。母と私がつき添い、 何度か有明のがん研に通うため、西洋銀座さんに1週間ほど宿泊した折には、おそうじの時間を ずらしていただいたり、テレビの上に折り鶴がちょこんと載っていたり・・・本当にいろいろ暖かい心遣いをいただきました。本当に本当にありがとうございました。
今でも父母との心暖まる思い出です。

産婦人科医師
対馬 ルリ子

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ながい暦史のホテルが5月で閉舘と伺いとても残念でなりません。
銀座に足を向けてホテル西洋 銀座がなくなる淋しさを感じて居ります。

脚本家 橋田 壽賀子
テレビプロデューサー 石井 ふく子

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ホテル西洋 銀座の歴史に刻まれた美しい芸術のような時間と空間は、東京の銀座という西洋文化を発信する場に誕生して、 沢山の心を豊かにしてくれる大切な場でもあったのではないでしょうか。
様々な芸術に溢れた地域ですので、品性に鋭い芸術愛好家たちからも根強い人気だったと思います。芸術鑑賞の為に滞在するのに適する穏やかに佇むホテル西洋 銀座でもあり、 この歴史に刻まれた時間と空間の美は、素晴らしい芸術と同様、きっと忘れられることはないでしょう!

バレエダンサー
西島 千博

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「じゃあ、いつもの所でね!!」
この20年、私の“いつもの所”はホテル西洋のプレリュードでした。
家族、友人、仕事仲間達と・・・、一体どれだけの時間を過ごしたのでしょうか。
大好きだった“ロイヤルミルクティー”、ある日、ハチミツをお願いしたことで、“ロイヤルミルクティー+ハチミツ”の“江里子スペシャル”が生まれました。
私にとってホテル西洋は“いつも”そこにあって、“いつも”変わらずに“いつも”穏やかな時間が流れていて、“いつも”心地良く・・・ずっとずっと大好きな場所。
初めて訪れた時に、ホテル西洋に恋をしてしまい、この20年、思いは変わらずにきました。
東京に戻るたびに必ず行く場所が・・・なくなってしまいます。
私がロイヤルミルクティーを飲みながら、母と沢山おしゃべりをしたように・・・
私もまた娘たちと、ここで一緒に過ごす時間を楽しみにしていました。
想うこと、書きたいことがありすぎて・・・書ききれません。
ホテルの皆様、本当にありがとうございました。

フリーアナウンサー
中村 江里子

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「ホテル西洋銀座の従業員の皆様への感謝」

今年5月にホテル西洋銀座が閉館すると云う驚きのニュースが飛び込んで以来、 長い間お世話になった者としてあまりにも多くの思い出があり、どうすればお世話になった従業員の方々お礼が出来るかを考えておりました。

20数年前になりますか、ハリウッドのワーナー・ブラザーズの方から東京に個人サービスの行き届いた世界水準のホテルが出来たと紹介されて、 宿泊を始めたのです。これまで泊まっていた他のホテルと違って、程ほどに小さなホテルは全体の雰囲気がとても瀟洒で、 働く方たちが親身になって何でもお手伝いしてくれる事に大変いい印象を受けました。

ホテルの外観、部屋のクールでシックな内装、レストランやラウンジの優雅で柔らかな雰囲気など、 全てこれまで日本のホテルで経験した事のない極上のものでした。
仕事の関係でハリウッドの映画関係者が良く出入りしている事も私にとっては好都合なホテルで、 私自身もアメリカやフランスの映画や音楽関係の方たちに紹介したものです。
彼らにとっては欧州流の優雅さと日本のとても上質で細やかなサービスをしてもらえる事に好印象を持った様です。

従業員の皆さんはとても訓練が行き届いており、いつも実に適確なサービスをしてくれるだけでなく、 通り一遍でなくそのひとつひとつに心がこもっており、いつも快適でした。
ある時など新幹線のプラットフォームまで出迎えてくれたり、歌舞伎座を出た所でにわか雨が降った時など傘を持って迎えに来てくれていたりと、 色々と感激した経験があります。
私の様なイヤミばかり云っている人間に対しても嫌な顔ひとつも見せず、どんな無理な事をお願いしてもそれ以上の事をして頂きました。

お世話になったひとりひとりの方々のお名前はあまりに数が多いので控えますが、 クルマを降りてからの玄関の出迎えの方から、部屋に荷物を運んでくれる方、チェックイン時のコンシェルジェの方々、 勝手な依頼を良く笑顔で対応してくださったレストランのスタッフの方々、ルーム・サービスの方たち、チェックアウト時の見送りの方々、 私の家族や孫たちにまで暖かい対応をしてくださった皆さん、前回の宿泊時の室温に合わせておいてくれたり、 暑がりの私にいつも専用のファンをご用意頂いたりと、 数々の滞在を快適に過ごせる事に心一杯のサービスをしてくださったすべての従業員の皆さんに心からお礼を申し上げます。

宿泊時だけでなく、東京にいない時でも、知り合いの冠婚葬祭に関する諸事、プレゼントの手配など、私の勝手なお願いを完璧にして頂いた事など、 ホテル西洋銀座のスタッフ以外では考えられない事ばかりです。
私の知り合いなどは、いつもケーキの配達屋かと思われる程お土産に使った「モンブラン」はこれからどうなるのかと心配しております。

今はひとりひとりのお世話になった全ての方々にお礼の気持ちをお伝えしたい事と、勝手な話ですが、6月以降はどうしようかと悩んでおります。

本当に長い間、お世話になりました。こんな素晴らしいホテル経験は多分もうないと思いますが、皆さんがホテル西洋銀座でご披露されたサービス精神、 おもてなしの心を次のお仕事の場でも続けられる事を確信しております。

皆さんの一人一人がホテル西洋銀座が閉館となった後も良い将来へ向けて羽ばたいてくださる事を切望しております。

Cosmo Communications.Inc.
代表取締役社長
甲斐 健

ホテル西洋 銀座がなくなってしまうのは残念です。
開館当時 背伸びをして"パストラル≠ノ一年に何度か足を運びました。
ロシヤで作った四季の花々やクリスマス模様の飾りのプレートの豪華さは眼を奪われたものでした!
卵のトロリとしたペースト(クリーム)の中に黒トリフが浮かんでいるのがとてもおいしく可愛いお料理で好きでした。
ゆったりした"プレリュード≠ナのシャンパンやアールグレーで一休みもぜいたくな時間でした。
現在、東京にいられる時間が少なくなってなかなか足を運べないのが口惜しいです。

シャンソン歌手/ファッション評論家
ピーコ

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又 ひとつ 洒落たホテルが消える。
ニューヨークにあるような居心地の良い
入りやすい、ちょっと贅沢な空間を
又、その内 どこかにオープンして下さい。
Enjoyed, Thank you.

ゴルフトーナメント プロデューサー
戸張 捷

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ホテル西洋銀座の閉館を寂しく思っています。

ホテル西洋銀座を使って定例に開催されていた「魚水会」という集まりで、私は、経済界の大先輩のみなさまの謦咳に触れる機会をいただいておりました。
そうした大先輩それぞれの好みや癖をしっかりと把握した西洋銀座のホテルマンのサービスには、感心しておりました。
圧倒的に若い新参者であった私が、気後れしないようにとホテルのみなさまにはいろいろとお気遣いをいただきました。
本当にありがとうございます。

衆議院議員
河野 太郎

ホテル西洋銀座へ

ホテル西洋銀座には、26年前のオープン当初から、足しげく通っていました。
滞在は年間3、4回(この頻度が、私の日本に対する熱い想いの証しなのですが)
ホテル西洋は、私にとって、何より安心できる東京の寄宿地だったのです。
どんな些細なこともなおざりにしないサービスの粋、もてなしのアート、これらが溢れるホテル西洋銀座に迎えられると、そこはたちどころに、くつろげる我が家になりました。
繊細な日本の調和が持つ意味を初めて知ったのもこのホテルでしたが、供される料理に見られる革新的サービスに、私は、完璧なまでにグローバルであろうとする気概を見出していました。
ホテル西洋銀座の優雅で優しく控え目なホスピタリティは、本物のスタイル、本物の様式へと昇華しうるものです。
そして、本物のスタイルは時代を超えて永遠に残るのです。

Luciano Benetton
Founder of Benetton Group S.p.A.
(翻訳者:田丸 公美子)

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NHKのアメリカ総局長時代から20年余 日本に戻る度、自宅のようにとめてもらいました。
仕事柄 世界各地を走り廻りいろいろなホテルにとまりましたがホテル西洋銀座に勝るところはどこにもありませんでした。
長期に亙ってとまったロンドンのクラリッジ、パリのプラザアテネ、ベルリンのアドロン、すばらしくはありましたが世界の超一流は何といってもホテル西洋銀座。日本の誇れるブランドでした。
ホテル西洋銀座の名は世界の旅人の間で永遠に残るでしょう。

ハドソン研究所 首席研究員
日高 義樹 日高 正乃
ワシントン・ベセスダにて 2013.3.4

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ホテル西洋の思い出

僕が子供だった頃、京橋にはまだ川が流れていて、その名の通りの橋が掛かり、銀座の柳がそよ風に枝を揺らしていました。 道路には進駐軍用に英語の交通標識があり、橋の上には露天の店が並び、川からほのかに海風が香ってくるそんな街でした。その光景が思い出せないほど、今の京橋は大きく姿を変えてしまいました。
ほどよい大きさの劇場とこぢんまりとした素敵なホテルが開業したのは、昭和が平成に代わる少し前のこと。 猿若勘三郎が猿若座を興した江戸歌舞伎発祥の地でありながら、長らく彼の地では芝居が忘れられていました。 歌舞伎俳優の僕にとって縁浅からぬそんな京橋に、新しい劇場が開場したのはノスタルジーと共に昔の京橋を思い出し、懐かしく嬉しい思いでいっぱいでした。
僕はこの劇場で、W.シェイクスピアの『リア王』『マクベス』、そしてP.シェーファーの『アマデウス』、 そして僕自身がプロデュースするシアター\の『ヴエリズモオペラをどうぞ』等を上演、どれも思い出深い舞台でした。 芝居の世界にいると、日々劇場と住まいとの往復で終始し、外の空気に触れることがなくなってしまいます。 そんな時、繊細な味わいの一皿に癒されることがあります。それは「ホテル西洋」の料理の数々です。
家族とフレンチレストランの「レペトワ」で過ごす時間は、ともすれば多忙にかまけて食事を楽しむことすら忘れてしまいそうになる僕を、 まさに「口福」の時間への誘ってくれました。ヨーロッパのクラシックホテルのような雰囲気で戴く料理には、 伝統的なフランス料理もあれば、新鮮な旬の食材が生かされたヌーベルキュイジーヌもあり、シェフのエスプリを感じるものばかりで、どれも奇をてらうことのない穏やかな美味しさで飽きることがありませんでした。
日本の四季が盛り込まれているような「吉兆」、築地の活気をそのまま食卓に届けたようなイタリアンの「アトーレ」と、 どこもホッと息をつきたくなるような店で、少しの時間を過すだけなのに、その度に心が癒されたのを思い出します。
サロン・ラ・ロンドで、母の法事をさせて戴いたときの事も忘れられません。 母のお気に入りのモノクロのポートレートの前に、季節に相応しい薄紅色の蓮の花を古銅の水盤に活け、一寸と年代の逆のぼったアンテイークな西洋家具に囲まれ、 美味しいワインと共に友人達と楽しく又懐かしく「吉兆」のご主人の素晴らしいお料理をいただきながら母を偲んだ事や、 その時の部屋の設えやスタッフの方々の心遣い、テーブルごとに生けられている花の趣まで、どれもが心地よく、隅々まで行き届いた心遣いにホテル西洋の最高のホスピタリテイが感じられました。
千秋楽の幕が降り、劇場をあとにする頃には夜も更けていて、京橋の街の灯りや人々の喧噪が溢れていることに気付きます。 ひと月近い楽屋の生活から日常に呼び戻される瞬間です。でももう、あの京橋の雑踏を感じながら家路に着くことは出来なくなってしまいました。 ただただ名残惜しく、淋しい気持ちでいっぱいです。お別れに、娘の松たか子が「ハムレット」のオフィーリアをル・テアトル銀座で演じていた時に詠んだ句をお贈りします。

打ち出して銀座は薫る月の道

歌舞伎俳優
松本 幸四郎

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ホテル西洋銀座は結婚披露パーティーを開いた、思い出深い“聖地”です。
銀座に用事があると必ず立ち寄る、私共夫婦の第二の我が家のような、落ち着くサロンホテルです。
二階の“プレリュード”は、まるでヨーロッパに滞在しているかの如くエレガントなティーサロンで、特にジンジャーミルクティーとモンブランがお気に入り。
1階にある“すし屋 真魚”は家族で訪れる事が多い日本最高のすし屋さんです。
閉館される、という事実は未だに信じたくありませんが5月まで可能な限り日参したいと思っております。

株式会社FELICE TOWAKO
代表取締役社長 君島 誉幸
クリエイティブ ディレクター 君島 十和子

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どんなに身体が疲れても、心が落ち込んでいても、「西洋銀座」はいつも私を癒やし、元気づけてくれる存在として、必ず“そこ”にありました。
いまも思い出すのは、クリスマス前や誕生日に手作りの折紙や?ハッピーバースデーの歌で、素晴らしい一日をプレゼントして下さったこと。
バトラーさんはじめ、皆さまの温かさは、一生忘れられません!
・・・このホテルを失うのは“故郷”を失くすほど淋しい思いですが、また必ずどこかで、西洋銀座のホスピタリティと、スタッフの皆さまにお会いできると信じております。本当に有難うございました!

マーケティングライター
牛窪 恵

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ホテル西洋のスタッフの皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました! ホテルの中のホテル、東京の誇りである、ホテル西洋銀座がクローズすることは、残念な限りです。 東京の顔である銀座通りに面した 唯一のホテルであるのに、いつもゆったりとした時間が流れる隠れ家。
コンシェルジュ、バトラー、ソムリエ、ホスピタリティといった、まさに“西洋”文化の粋を表わす言葉を日本中に広めたのもホテル西洋 でした。
常宿としている国内外の友人知人を訪ねてホテルにうかがうとまるで自分の家のように寛いでいたことや、レペトワ、アトーレ、プレリ ュード、G1、吉兆、竹若での様々な方々との忘れ得ない語らいや邂逅が思い起こされます。
また当方がNHK大河ドラマ「龍馬伝」と連動した高知県主催の「龍馬博」の総合プロデューサーを務めていた際には、「土佐フェア」 を開催していただき、田渕美千枝さん、戸張浩幸さん、そして、高知県出身で県の観光特使にもご就任いただいた広田昭二シェフに、大変 にお世話になりました。
そんな数々の思い出は私達の心の中でずっと生き続けます。
ホテル西洋は、大規模なホテルでは決して成し得ない、ホテルのハード・ソフト・ハートが三位一体となって結晶した宝石のような存在 でした。
しかし、つまるところ、ホテルとはハード主体の装置産業なのでしょうか?いいえ、そうではありません。やはり、ホテルとは人間主体 の産業であるはずです。ホテル西洋の何が素晴らしいのかと言えば、それはそこで働く人が素晴らしいのに違いありません。
「hotel」という言葉は、ラテン語で、客人を歓待するためのハード(場所)を表す「hospitalis」や、歓待する・もてなすというソフト (行為)を意味する「hospitale」から変じたと言われます。しかし、さらにその2つの言葉の元々の語源は、「hospes」(客人の保護者)で す。
だから、ホテル西洋とは、ホテル西洋が育てた人に他なりません。だから、たとえクローズしても、ホテル西洋はなくならないのです。
ここで育ったスタッフの皆さんが、ホテル西洋で育まれた文化を、これから、日本中、世界中に広めて行くわけですから。ただ惜しむら くは、その人達がもう二度と一つの館に集う機会はないということです。
折しも過日、ホテル西洋のバンケットルーム「サロン・ラ・ロンド」で開かれた長嶋茂雄監督を囲む忘年会に出席させていただきました。
監督は脳梗塞の後遺症をものともせず、しっかりとした足取りで堂々と歩まれ、フランス料理のコースをペロッと平らげておられました。
2013年、長嶋監督は77歳の喜寿を迎えられます。そう、ホテル西洋の客室数も77室でしたね。監督ならば、おっしゃるでしょう。
「我らがホテル西洋は永久に不滅です!」

マーケティングコンサルタント
西川 りゅうじん

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玄関を一歩入ると、銀座の喧噪を感じさせない異空間。
「究極のくつろげるホテル」の見本のような価値のあるホテルだったと惜しまれます。
サロン ラ ロンドでの会合は、我が家でパーティをしているような安らげる時間と居心地の良さ。
「ホテル西洋 銀座」の素晴らしいおもてなしの心がスタッフの皆様の手で別の場所で受け継がれることを期待しています。

衆議院議員
麻生 太郎

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My congratulations to the management and staff of Hotel Seiyo Ginza !
My wife Susan and I will miss your service.
Now I can tell our secret that Room 1220 is the best one !

With all best wishes,

David Rockefeller, Jr.
Rockefeller & Co.

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「ル テアトル 銀座」の芝居は洒落ていて、楽しみでした。
一度だけですが、岸田今日子さん、冨士眞奈美さんと三人の舞台で出演した時は、嬉しかったです。

女優
吉行和子

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「銀座百点」という雑誌の対談コーナー「銀座サロン」欄のため、ホテル西洋銀座地下一階にある「吉兆」さんで月一回おいしいお食事を頂いております。目下の私の楽しみです。
ホスト役の作家 池内紀さんと御一緒に、素敵なゲストをお迎えして山海の珍味にあずかっております。
かつて「ル・テアトル銀座」には、「おおナポリ!」「マグノリアたちの朝」など、二本の芝居に出演し、その間、毎日銀座へ通うのは心躍る楽しい日々でした。また、岸田今日子さん、吉行和子さんと三人での「俳句と朗読(みだれ咲き)」の会も「ル・テアトル」でした。楽しい思い出しかありません。(とはいえ、地下の小さなパーティルームで岸田さんの偲ぶ会が行われたことは唯一寂しい思い出でしょうか。)
いま、閉館というお話にびっくりしております。素晴しいホテル、残念でなりません。

女優
冨士眞奈美

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With many wonderful
memories for all our guests
at Warner Bros. Japan !

William J. Ireton
President & Representative Director
WARNER ENTERTAINMENT JAPAN INC.

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ホテル西洋銀座が閉鎖するという事は、本当に残念でございます。
創業当初より利用させて頂いておりましたが、パリの有名なプチホテル級のものが日本に出来ると胸を踊らされたものです。
銀座という立地、風格、気品があり 心癒やされるホテルです。
私は、帝国ホテル内に40年余り、本社・サロンをかまえておりますが、ホテル西洋銀座は会議や会食でも度々利用しており、お客様からもとても評判が良く毎日の日課に入れている様な次第です。
玉樹のお客様でも頻繁にホテル西洋銀座をご利用される方が多く、自分のサロンの様に使用させて頂いておりました。
お部屋、お食事はもちろん、雰囲気の良さ 接客マナー、サービスも徹底されていて気持ち良く過ごさせていただいておりました。
このように公私共に利用できるホテルが閉幕してしまうのは、全国の玉樹のお客様にも影響がありとても残念でなりません。
このようなホテルは他には無いと思います。
ずっと続いて行けるホテルだと思っていただけに何とも言えない感無量の気持ちです。
出来れば、夢の様な話しで続いて行ければと願っております。

株式会社 玉樹
代表取締役会長
森田寛子

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長男次男のお宮参り、七五三、入学式は「吉兆」で。
結婚記念日、誕生日、卒業祝いは「レペトワ」で。
ル・テアトル銀座での公演の後は「アトーレ」で。
渡辺家の節目節目は、ホテル西洋さんにお世話になってまいりました。
ですから、ホテル西洋に向かう時は、いつも心が華やぎ、そこは、胸躍る場所でした。
そんな大切な場所が幕を閉じます。
しかし、我々家族の胸には、しっかりと刻み込まれた感謝の場所です。
ホテル西洋様、素敵な時間を本当にありがとうございました。

渡辺 徹
郁恵

若い頃から日欧米のホテルの中でもやがて最終的に最高級のホテルを基本的には仕事場にしてきました。
日本ではすぐに銀座のこのホテルで、60歳還暦パーティも行いました。
仕事打合せ、ミーティング、プレゼン、取材、TV撮影そして宿泊まで、友人との昼食、夕食はワイフと特別にという場でした。
しかし、ホテルの存亡は気づくものです。第一は「サービス」の日語訳が経営、これが大間違い、宗教用語であることをうるさくても徹底的に教えるべきでした。
私にとって大切な場を失おうとしています。
とりもどせるなら、私はプロとして、デザインディレクターとして教えてあげるべきだったと思います。
ホテルがどうあるべきかをほとんどのホテルが見失っているだけに、欧米では喧嘩までしますが、
するべきだったと反省しかりです。

川崎和男
デザインディレクター

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ホテル西洋が日本の隆盛期の終焉と同時に幕を閉じることとなったことは
残念であると同時に、一時代が終わった寂しさを感じる。
想えば、ホテル開業直後からほとんど毎日の様にパストラルで家内と朝食を頂いた。
丁度銀座が自宅と役所の中間地点にあり、家内もバブル時代の金融界に居あわせたのでそういう次第になったのだが、パストラルではイチゴ、木イチゴ、当時はまだめずらしい ブルーベリーにクレーム・シャンティーイをつけて供してくれ、これと共にいただいたクロワッサンとダージリンティは常に最上質の朝食であり天国の様であった。
当時から懇意にしていただいたスタッフの皆様(細井さん他)有難とうございました。

田中信明
前・駐トルコ大使

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